臨港地区更生保護女性の会の皆さんが土崎空襲を学びました

 去る12月6日(月)、土崎みなと歴史伝承館での臨港地区更生保護女性の会の会合の中で、土崎空襲講話会を開催しました。35名の方が参加されていました。 

 秋田ケーブルテレビ制作のドキュメンタリー番組「語り継ぐ土崎空襲」を視聴した後、体験者の伊藤津紀子さんが土崎空襲に至るまでの歴史的経緯、当夜の空襲の有様、また市民会議の活動の状況などについて自らの体験を交えお話しました。実際空襲を体験した、あるいは記憶に残しているという方も、またそうでない方々も真剣な面持ちで講話を聞いておられました。どなたも「やはり戦争は2度とあってはならない」「次の世代に伝えていきたい」という思いをかみしめられていたようです。

 以下、アンケートの記述をいくつか紹介します。


 「伊藤さんのわかりやすい素晴らしい講演ありがとうございました。子供達のメッセージも、これからの平和のために応援してあげてください。」

 「おじは当時、日本で働いておりました。母は大正生まれでしたので当時のことは少しですが聞いておりますが、ショックが大きかったと思いますが、あまり多くは語ってもらえなかったです。二人共に亡くなっておりますので、今日は貴重なお話しありがとうございます。」

 「今まで土崎空襲について学ぶ機会が残念ながらありませんでした。今日短い時間でしたが、大変貴重な時間でした。大変な経験をされた皆様のお話、考えさせられました。今の子ども達、戦争のこと、平和のこと、地球のこと、よく学んでいます。もう二度と悲劇は繰り返されないと思っております。」

 「伊藤津紀子さんと同じ年に生まれています(同じ年、3月生まれです)。戦争を体験しております。家族は全員無事でしたが、(私達家族は土崎駅の線路を越えて山側に逃げました)ケガをした人たちをたくさん見ています。世界各地でまだ戦争が起きています。戦争のない地球に‼ 祈るのみです。」

 「私はS19年4月20日生まれ、当時1才4か月、兄が2人で13年、15年生まれ。母は私を背負い2人の兄の手を引き道路を走った。その時私は空を見ていたのです。それが5~6才頃まで空を見上げるのがこわくて、どうしてこんなにこわいのか分かりませんでした。大人になってあの1才の時のことだなあと思いました。小学生の時、田んぼにバクダンの穴が7~8ケ位ありそこでドジョウとかフナとかタニシをとって遊びました。」

 「土崎空襲のことは聞いていました。でも今日は本当にくわしく分かりました。この機会をいただいたことに感謝しています。これほどひどい、想像以上のことで、亡くなった方々を思うと祈らずにはいられません。戦争ほど残酷なものはないということを、今日生の声でまた再確認しました。体験した人でなければ伝わらない、戦後生まれの私たちには、また伝えていかなければならない使命を感じています。今日の講義を聞かなければこの使命を感じなかったと思います。今日は私を変えてくれたすばらしい講義、ありがとうございます。」

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