原爆、空襲、そして戦争の残酷さ、まざまざと!ナガサキ・土崎被爆証言講話会

 去る、7月23日(土)、秋田市主催の「ナガサキ・土崎被爆証言講話会」が開催されました。長崎原爆死没者追悼平和祈念館からは、被爆者の三瀬清一朗さんが、土崎みなと歴史伝承館からは土崎空襲体験者の伊藤津紀子さんが、それぞれの被爆体験を証言しました。その模様は、オンライン(Zoomウェビナー)で配信され、また歴史伝承館では大スクリーンで上映されました。会場では約20名の市民が視聴し、市職員・市民会議スタッフを含め約50人が参加しました。

 以下、7月24日付け秋田さきがけ新報の第23面から転載します。

 「三瀬清一朗さん(87)は、10歳の時に爆心地から約3.6㌔離れた自宅で被爆。一緒にいた母と祖母、きょうだいは命に別状がなかったが、通っていた学校では凄惨な光景を目の当たりにした。『男女の判別もつかないような人が次々と体育館に運び込まれ、息絶えていく、まるで地獄のようだった』と振り返った。

 終戦後も長らく食糧不足に苦しんだ三瀬さんは、ロシアによるウクライナ侵攻も同じような悲劇をもたらしかねないと警鐘を鳴らす。『自分が生きている間に、いかに戦争が愚かなことかを、多くの人に伝えたい』と語った。

 4歳の時に土崎空襲に遭い、土崎港被爆市民会議の会員として活動する伊藤津紀子さん(81)は、自身の体験や、他の被害を受けた人々の証言を紹介した。爆弾の破片で負傷し息子を亡くした母親の無念さや、家族を失い自分だけ生き残った男性の苦しみなどを、感情を込めて語った。

 伊藤さんは『戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、何ができるか』と参加者に問いかけ、講話を終えた。
 家族で参加した金足農業高校1年の小野さんは『土崎空襲のことはあまり知らなかったので、実際の体験を聞けてよかった。亡くなった子どもの服を見て、幼い子どもまで無差別に命を奪われた事実に涙が出た』と話した。

 会場には、親子連れや中高生などの若い世代の姿が目立ちました。長崎の原爆と土崎空襲の怖ろしさや、それを生みだした戦争というものの残酷さにふれ、平和がいかに大切なものか、どうしたら戦争のない社会を作っていけるのか。この問いを世代を超えて共有した貴重な講話会となりました。

 三瀬さんは、講話を次のメッセージで締めくくりました。

    平和は人類共通の世界遺産です。
 Peace: a world heritage to be shared by all humanity

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