あの時代を伝える~8/11空襲展特別企画

 8月11日(日)、「戦争と土崎空襲展」の特別企画として、「あの時代を伝えたい」~ギャラリートークと戦争体験を語る会~開催しました。
 第1部では、空襲展と同時開催中の「回顧水彩画展」の作者東海林良市さんが、自身の作品について解説しました。土崎空襲についての作品も多くありますが、今回は主に1945年7月15日と8月10日の米軍機による横手空襲や戦争に翻弄された人々の姿を描いた作品を中心にお話されました。
 東海林さんの絵は、戦時下の横手の町と人々、とりわけ子どもたちの姿、空襲の有り様、そして終戦を迎えた人々の復興への希望などを、聞き取りなどの取材や文献などの調査、写真などを基に、柔らかくしかもリアルな筆致で私たちに伝えています。
 トークでは、絵に登場する人々について、爆撃による死亡者、負傷者を含め、個々のエピソードを特に丁寧にお話されていました。空襲や戦争の被害を人数の多寡だけではなく、命・生活・希望などを奪われ、身体や心を傷つけられた一人一人の人間のレベルでとらえることの大切さを教えてくれました。
 最後に、「一人一人が平和について考えて、やれることをやっていかなければならなければ戦争になる。今、時代は逆方向に進んでいるから」と結ばれました。

 第2部では、共に戦争体験者の白旗中さん、湊眞砂子さんが自身の体験を証言してくれました。
 白旗さんは、米軍のB29爆撃機、日本海軍の連合艦隊、そして戦艦「大和」のことなど普段なかなか聞くことのない戦争のことを教えてくれました。続いて、自身の体験。軍隊には入りたくなかったが、学校からの指名で予科練を受験した、名前しか書かなかったが合格。その際「7銭あればお前たちの代わりはいくらでもいる」と言われた。そこはどうしても嫌だったので、陸軍兵器学校を受験した。入隊する時に父に「二度と敷居をまたぐな」と言われたが、母からは「必ず帰ってこい」と言われた。死にたくはないと思ったが、あからさまには言えない時代。家を出たら二度と戻れるとは思えなかったが、それでもどうせ死ぬなら一番最後に死のうと思った、など戦争と軍隊の非人間性を熱を込めて語ってくれました。

 湊さんは、戦争中の暮らしぶりについて詳しくお話されました。
 横手の小学校の時、体育館で校長が「兵隊さんは国のために命を捨てる覚悟で戦っている。銃後を守れ。やがてカミカゼが吹いて日本は必ず勝つ。それまでは苦しくても頑張れ」といつも訓辞したこと、土崎に引っ越した後、父親が満州の金融機関に勤めるため、秋田を離れてからやがて音信不通になり、母と共に家を支えるため大人のように必死に家のことを必死にやったこと、食事はおかゆが中心でお腹いっぱいにはならずいつも空腹だったこと、空襲の警報が鳴れば防空壕は無かったので母と弟と3人で固まって耐えたこと、衣服などは手に入らないので母が着物をほどいて作り直したこと。戦争が終わって、灯火管制の必要がなくなり、明るいところで暮らせると思ったことが一番嬉しかったこと、など様々な体験エピソードを語ってくれました。
 因みに、湊さんは91歳の今も、土崎九条の会の一員として「戦争反対」「平和憲法を守れ」との横断幕をもって毎週金曜日、土崎イオン前で20分間のスタンディングを行っています。「孫たちには二度とあの戦争の苦しみを味わわせたくない」「戦場には送りたくない」との思いからです。

 お二人とも、戦争体験者でなければ語れないリアルな証言で、戦争は戦場での戦いだけでなく、一人一人の生活の場、一人一人の人生の土台のところで、市民に苦難を強いるものであることを示してくれました。このような戦争のリアルを語り継ぎ、広めることが、戦争を食い止める大きな力となることを会場の皆さんと確認する場となりました。市民会議では、今後も土崎空襲と戦争の体験を共有する場を追求していきます。

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