「講演会&上映会」に50名が参加。戦時中の紙芝居の上演にも注目集まる。

 去る8月22日(日)、土崎みなと歴史伝承館で、コロナウイルス感染対策に配慮しながら、「土崎空襲を伝える『講演会&上映会』」を開催しました。

 土崎港被爆市民会議顧問の、秋田大学・秋田県立大学名誉教授 佐々木久春先生のご講演、及び秋田ケーブルテレビ制作の番組「アップルは届かず」の上映に加え、戦時中に制作された国策紙芝居「空白の遺書」を初めて上演するということで、秋田魁新報や読売新聞で取り上げられたこともあり、定員いっぱいの50人の方々のご参加を得ました。

 佐々木先生は、市民会議の創立以来、中心的・指導的立場で活動に関わってこられました。とりわけ、空襲・戦争体験の継承にあたっては、体験者の座談会を各地で組織し、全員の証言を録音し、その膨大な音源を忠実に文字に起こしたうえで、さらに綿密な編集により「証言・土崎空襲」を出版しました。これは土崎空襲の有様を知るための、いわばバイブルともいえる書です。また、土崎空襲の事実が子どもたちにも伝わりやすいように、その中の重要なエピソードを拾い上げ、「絵本 はまなすは見た」「絵本 新ハマナスは見た」を制作しました。さらに、未来を担う子どもたちが主体的に土崎空襲や戦争のことをとらえ、平和への思いや願いを発信する場として「子どもたちから平和のメッセージ 発表会」を主宰してきています。ご講演では長年にわたる活動を振り返りながら、空襲・戦争の体験や事実を正しく、かつ様々な手法で語り継いでいくことの意義を強調されました。最後に、「証言・土崎空襲」の一節を、関連する絵本のページをスライドで示しながら朗読されました。あらためて土崎空襲の悲惨さと、二度と繰り返してはならないとの思いで会場全体が包まれました。

 紙芝居「空白の遺書」は、土崎地区にある「海禅寺」の住職を務めた、故藤田渓山氏の原作によるもの。名誉の戦死を遂げた軍人の妻のもとに、遺骨とともに届いた宛先だけの真っ白な葉書。そこに妻は夫の遺志を読み取り、残された子どもたちをお国のために役立つ人に育てます、と決意するという内容。紙芝居の絵をスライドにしてスクリーンに投影しながら、4人で役割を決めて朗読しました。戦意高揚のために作られた紙芝居ではありますが、戦争当時の社会や家族の姿、そして「美談」の陰でいかに人々が忍従を強いられたか、など多くのことを考える手がかりとなったのではないでしょうか。

 最後に、「アップルは届かず」を上映しました。土崎空襲の悲劇、またなぜそれは8月14日でなければならなかったのか、をアメリカ公文書館等での徹底的な取材に基づいて明らかにした力作で、会場がその迫力に圧倒された感がありました。

 以下に、アンケートの記述の一部を紹介します。

 「土崎空襲は本当にあったことだと実感しました。」(10歳代)

 「貴重なお話を聞けてよかったです。『アップルは届かず』興味深かったです。ありがとうございました。」(40歳代)

 「太平洋戦争、日中戦争の惨禍を伝えるとともに、日本の中国、朝鮮に対する侵略という加害者としての反省を正しく見つめていくことが、とても大切な時代に来ていると思います。そのような中で土崎空襲を伝える被爆市民会議の取り組みは日本全国の中にあっても、とても貴重なとりくみです。今後も地域に根を張った活動に期待します。」(60歳代)

 「戦争はどこの国にとっても得にはならないということを、子どもたちに伝えていくことが大事と思った。『アップルは届かず』のDVDはとても勉強になりました。事実を克明に追っていることに頭が下がります。」(70歳代)

 「『証言 土崎空襲』実在するとは知らなかった。これは一読に値する貴重な資料だと思う。 藤田渓山氏の「空白の遺書」。このような傑作があったとは!もっと早く知りたかった。家族からは、年を考えて止めたらといわれたが来てよかった!」(80歳代)

 「終戦の年、私は小学校の2年生でした。土崎空襲があった時のことは、76年たった今でも、鮮明に覚えています。夜、暗いところで鳴る不気味な音、上空を低空で飛ぶB29の爆音は本当に恐ろしく、生きた心地がしませんでした。落とされる照明弾の明るさは、真昼のような明るさでさらに恐怖感を増しました。大人たちは、外に落ちている縫い針が見えるようであったと話しているのを覚えています。この時、戦争って本当に恐ろしいことだと思いました。戦争は二度と繰り返してはなりません。恒久平和を祈るばかりです。」(80歳代)

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