土崎小学校6年生の皆さんと土崎空襲を学びました

 さる7月6日(水)、秋田市立土崎小学校6年生の皆さん30名が伝承館を訪れ、平和教育・学習の一環として土崎空襲講話会を開きました。
 最初にDVD映像「語り継ぐ土崎空襲」を視聴した後、伊藤津紀子さんが体験を交えて土崎空襲のことについて説明をしました。お話しの後、短い時間でしたが6年生の皆さんから質問を受けました。「日本には製油所は他になかったのか?」「空襲の時、人々はどんなところに逃げたのか?「津紀子さんは爆撃で家が無くなって、その後どのように生活したのか?」「土崎の町はどのくらいで復興したのか?」など、活発に手を挙げて発言する6年生の姿が印象的でした。
 伊藤紀久夫会長が最後に、「なぜあの戦争が起きたのか?についてぜひ学んでいってほしい。学んだ事を生活や行動に生かしてほしい」と結びました。

 学校に戻ってから書いてくれたアンケートの記述からは、土崎空襲や戦争の問題を、過去の問題や他人事としてではなく、現在の自分の身に引き寄せて捉えようとする姿勢がうかがえました。
 以下、アンケートの記述からいくつかを紹介します。

「土崎くうしゅうや、せんそうはもういのちにかかわるのでぜったいにやってはならないとおもいました。」
「ばくげきが4時間も続いていて、もし僕がその時にいたら、こわくてあわてて家からずっと出れないでいると思います。当時子どもで、今、生きているかたは、こわくても冷静に判断をできたから生きているのだと思います。伊藤さんや他の人たちもこわかったことをみんなに話して、もう二度とそういうことがないようにするためにがんばっているのが、話を聞いているだけでよく分かりました。」
「戦そうで12047個もの爆弾で250人以上の死人が出ていたことや、戦争が終わってからも家がこわれてしまったりして住む場所が見つからなかったりして、土崎のだれもが悲しく苦しい思いをしていたと思ったので、戦争は罪悪なものだと感じました。
「ぼくは、えいぞうを見て、空襲は人の命がなくなるかのうせいがあるからいけないと思いました。なぜかと言うと、えいいぞうで、空からふるばくだんの数はとても多く、一個のばくだんがおちたら、ばくだんはばらばらにとびちって、ブーメランのようにまわりにまきちっていました。そこまで大きくないもないばくだんのかけらなのに、とても重く、それがすごい速さでとんで行き、人の体にあたると考えると、「死んでしまうんだ」と思いました。だから、空襲はあってはいけないと思いました。」
「ばくだんと戦争のこわさが分かりました。この時の人は身近な人の命や、環境がボロボロになって生活する事がとてもむずかしく、苦しいと思いました。食料も、家も家族も全部うばわれてばくだんのこわさを知りました。これから平和な生活が続いてくれる事を、心の底から感じました。」
「人が死んでも、これまではあまり実感がわきませんでした。ですが、今日の講話では、とても悲しく感じました。きっと、それはあまりにもその「死」に意味がないと感じてしまい、なぜなら、ばくだんを投下した人も、指示した人も、多分法のもとで裁かれていないんだろうなぁと、思ったからです。」
「私は、お話を聞きながら、自分がその場に居たら、と考えて聞いていました。私はとても苦しかったです。爆だんのはへんを持った時に気持ちがこみ上げてきて、泣きそうになってしまいました。お2人にはとても感謝しています。戦争を思い出し、苦しくなってしまう事もあったのではないでしょうか。そんな中、しっかり分かりやすいように教えていただき感謝しています。」
「土崎空襲について、平和とは何かあらためて考えようと思った。これからは土崎に住んでいる人として、この空襲や教えてもらったことを、わすれずに生活しようと思った。」
「土崎空襲のせいで250以上の人が亡くなったことを聞いて、すごく今ふつうに毎日生きている事のありがたみなどを実感出来たと思います。今から75年前の土崎空襲、「あと少し、政府が早く決断をしていれば、土崎の人が亡くなることはなかっただろう。」と聞いて、本当に悲しかった。今日学んだ事を生かし、忘れないでいきたいと思います。」


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