去る8月24日(火)、秋田市の歴史ボランティアの皆さんと土崎空襲について学びました。秋田市の観光案内人として、市内の歴史文化・風土・建物などの案内・解説を行っている皆さんで、約20人ほどが参加されました。
今回は、土崎空襲の概要を説明する際、米軍の戦略爆撃に関する「作戦任務報告書」(秋田市歴史叢書5「最後の土崎空襲の記録」所収)から抜粋した資料を用いました。これは「1945年8月14日~15日に日本帝国に対して行われた最後の攻撃作戦」(秋田を含む6カ所に対する、いわゆるファイナル空襲)について報告した文書です。この作戦を含む本土への空襲をどのように計画・実行し、かつ総括しているかをまとめたもので、米軍が攻撃目標に対して科学や技術・情報を駆使した総合的な分析を基に、いかに緻密に計画していたか、が分かる文書です。参加者の皆さんは初めて目にする資料ということもあり、興味深くご覧になっておられました。
土崎空襲について始めて知ったという方も多かったようですが、アンケートには「今後の案内の際に、今日聞いたことを組み入れるようにしたい」「同じ悲劇が繰り返されないように」などの記述が多く見られました。秋田を訪れる多くの皆さんに日本最後の空襲という悲劇を伝えていただけることを期待します。
なお、市民会議としては、今後も機会をとらえてこの文書を活用したプレゼンを行っていきたいと考えています。
以下、アンケートの記述をいくつか紹介します。
「案内人として一通りの話しは出来ますが、アメリカからの資料を詳細に拝聴できたことは大変勉強になりました。」
「貴重な体験談、有難く拝聴しました。米軍の空爆報告書(ロシアと違って、正直正確な内容でしょう)の入手、解析はご苦労された事と推察します。」
「『土崎空襲』の詳細は初めて知りました。終戦間際の爆撃で250名以上の人が命を落とした事、大変無念に感じます。観光案内人として、案内等有った場合は、ぜひ一項目入れて説明し、戦争について目を向けてもらえるように、心掛けたいと思いました。」
「テレビ、本などでは話を聞いた事がありますが、初めて戦争経験者の方からの話をうかがいました。親も経験してますが、聞くことはありませんでした。ウクライナのテレビを見て心を痛めております。話し合いでは解決しないと思います。育ちが違うと考え方は変わります。むずかしいと思います。これからもがんばって下さい。ありがとうございます。戦争はいけない!」
「どんどん戦争の風化していく中で、私達が出来ることは限られて来た。戦争の悲惨さよりも日頃の行動の中で、戦争に向かわない方向性の議論が必要と思う。」
「大変貴重なお話を伺いました。ありがとうございました。私は昭和16年10月、開戦の直前に生まれました。土崎空襲の日は能代におりましたが、南の空がボーッと赤かったのを覚えています。(母が土崎の出身でした)。私の父はパプアニューギニアで戦死いたしました。私は7回、ニューギニアを訪れています。そのうち3回は遺骨収拾をしに参りました。5~600人のご遺骨を日本に連れて帰りましたが、まだ日本に帰れずに、外国の地に埋もれている兵隊さんたちが何万人~何十万人といることをも、あわせて心の片隅にでも置いていただければ有難いと思います。その後の質疑応答で、まだまだ複雑な問題があることが明らかになった。考えるべき点が提示されたことがよかったです。」
「戦争とは国のためにあなた死んで下さい。国の代表のためにあなた死んで下さい。ということだと思います。軍隊はいらない、軍隊があるから戦争になると思っています。ご活動がんばってください。」
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