土崎中1年生が、土崎空襲と戦争、平和について考えました

  去る10月21日(金)、秋田市立土崎中学校1年生の19名の皆さんが『地域に学ぶ~「ふるさと土崎」の魅力、再発見~』をテーマとした総合的な学習の時間の一環で、土崎みなと歴史伝承館を訪れました。
 最初に、伝承館の職員の方の案内で、ビデオ視聴を含めて伝承館内の展示を見学し、土崎の発展の歴史や北前船について、また土崎の港まつりについて学習を進めました。
 次に、空襲展示ホールで土崎空襲時の猛火でガラスのように溶けた旧被爆倉庫の壁や柱、100㌔及び50㌔爆弾の残骸などを見た後、土崎港被爆市民会議による講話会に臨みました。
 始めに、「語り継ぐ土崎空襲~終戦前夜の悲劇」のDVDを視聴した後、スライドショーで、土崎空襲までの歴史的な流れ、主な被爆地域、投下された爆弾、旧日石構内の弾痕図や直後の建屋の惨状、民家や住民の被害の実情などについての説明を受けました。
 続いて空襲体験者の伊藤津紀子さんが、自身の体験を中心に空襲とその前後の様子について語りました。8月14日の空襲の前に米軍が数回にわたり秋田県の上空に飛来し、調査をしたり、銃撃を行ったりしたこと、疎開のこと、自宅が2発被弾し破壊されたことなどを証言しました。
 その後、生徒の皆さんから多くの質問が寄せられました。「市民会議はどうして立ちあげられたのか?」「どんな活動をしているか?また参加している人々の世代や人数は?」「戦争中一番怖かった事は?」「空襲が始まった時、戦争が終わった時どう思ったか?」「今の世界の状況をどう思うか?」
 市民会議の伊藤会長と津紀子さんは、それぞれの質問に答えながら、「先の戦争と土崎空襲が最後であるようにと活動してきたが、残念ながら今ロシアがウクライナに攻め込んで戦争が今行われている。平和の問題は他人事ではなく、君たち若い人たち自身の問題だ。戦争や歴史、社会の事をしっかりと学び、自分はどう考えるか、自分ならどうするかという問いに向き合っていってもらいたい」と期待を述べて講話会を締めくくりました。
 以下、事後の感想文からいくつかを紹介します。生徒の皆さんが講話会を通し感じたり、考えたりしたことをご覧ください。


「1945年の8月14日から15日にかけて、激しい空襲を受けたことが分かりました。今、僕たちが住んでいるこの土崎にも空襲があり、250人以上の人々が亡くなった。この講話会の話を聞いて、土崎空襲の悲しさや辛さが分かりました。二度と戦争がない平和な日本にしていきたいです。」
「なんで爆弾を落とすのだろう、落とすことにより、破片が飛びちり、その破片がささって死ぬ人もいる。戦争の苦しみを分かり、絶対に戦争をしてはいけない。国と国の争いはじごくへつながる。戦争は誰もがきずつき、死にいたることもある。」
「今日の講話会では、なぜ原爆が落とされたのかとか、戦争をふっかけたのは日本ということを初めて知りました。また、改めて戦争のひさんさが分かりました。自分たちが当たり前だと思っていることは当たり前ではないので、平和な毎日に感謝してこれからも元気に生きようと思いました。」
「実際に空襲にあった方の話を聞いて初めて知った事や、空襲にあった人しか分からない気持ちなどをくわしく知れたり、空襲についてもっと深く考えたりしてみたいなと思いました。改めて、やっぱり空襲はいけないことだなと感じられました。」
「私は土崎空襲の講話を聞いて、空襲のおそろしさや悲しさについてよく分かりました。爆弾の破片によって負傷した人や、首のない石像の話が深く心に残っています。空襲はもう二度とくり返してはいけないことだということについてよく分かりました。」
「小学校のときに、一度聞いたので2回目だったのですが、いつ聞いても戦争を体験した方々からのお話はとても悲しくつらいなと感じました。この土崎空襲が日本最後の空襲であることを願いたいと思います。」
「伝承館での講話会を通して、ぼくは土崎空襲は思った以上にひどいものだと分かった。B29から投下された爆弾で多くの人が命をおとし、多くの遺族が悲しんだということを忘れずにこの土崎で生きていこうと思った。」

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