7/13聖霊女子短大で伊藤津紀子さんが語りました2023.07.25 09:40 去る7月13日(金)、聖霊女子短期大学で伊藤津紀子さんが「女性論」の講師として、約110名の学生を前に講話をしました。これは、同学 生活文化科 生活文化専攻の菅野薫先生に招請され実現したものです。 冒頭に菅野先生は、次のように講義の狙いを話されました。「昨年度の講義の中で、戦争は二度とくり返してはならないし過去のものとして捉えてはいけないと学んだ。しかし、私たちの日常の生活は特段変化がないように見え、戦争というものとはかけ離れているように思える。一方で、ロシア・ウクライナの戦争は続いており、人々の命は失われ、建物は破壊され市民は住居を追われ眠れない夜を過ごしている。兵士・市民の犠牲者の数は膨大だ。また、日本を見れば8月15日に終戦を迎えた戦争の中でやはり5千万とも8千万ともいわれる人々の命が失われた。終戦前夜にはこの秋田の土崎でも多くの犠牲者が出た。今日は空襲体験者の伊藤津紀子さんの実体験を聞きながら、『戦争を繰り返さないため、平和な世界を築くために私たちはどう生きるべきか?実際に何ができるか?』を考えてみましょう。」 「語り継ぐ土崎空襲」の映像を見た後、当時の衣服をまとって登壇した伊藤さんは空襲の際避難したのが短大のすぐ近くの将軍野の丘であったこと、翌朝戻ると家屋は爆弾の直撃で2つの大きな穴と化していたことなどの自身の体験、近所そして土崎の人々に起きた悲劇、当時の生活の様子、特に男性は兵役や勤労動員等にとられたため女性が生活を守らなくならない中で、食料や衣服など物資が乏しく困窮を極めたことなどにも触れました。さらに「日本全土が空襲を受けたが、日本だけが被害を受けたというものではなく、戦争は双方に大きな犠牲を強いるものだし、いったん始まればいつ終わるか分からない。これからは皆さんの時代。決して戦争を起こしてはならないということを念頭に生きていただきたい。そのためにも、土崎空襲や戦争全体のこと、歴史をぜひ勉強していただきたい。」と結びました。 学生の皆さんは、空襲と戦争の残酷さ、恐ろしさを実感しながら真剣に耳を傾けていました。以下に、感想文をいくつか紹介します。土崎地区の出身で土崎空襲について学んだ経験を持っている人もいれば、初めて知ったという人もいます。次代を担う若者たちがそれぞれ何を感じ、どう考えたか?その一端に触れていただければと思います。 「戦争は繰り返してはいけないというけれど、若い子たちは経験したこともないし、私を含めて無縁なものだと感じます。教科書で触れる程度で、深く戦争について知る機会が多いわけではないと思います。私はもっと戦争について学ぶ機会を増やした方がいいと思います。実際に経験をしている人が少なくなっている中、映像で見せるにはショッキングだ、という声もあるかも知れないけど、戦争の恐ろしさを知ることは私たちにとって大切だと感じました。」「小学校から高校の国語や現代文の授業で、戦争をテーマにした実話や作品を学習します。そのなかで特に印象に残っているのが、小学校低学年から中学年ごろに学習した『ちいちゃんのかげおくり』です。幼いながらに戦争の残酷さ、くり返してはいけない歴史であると理解した記憶があります。大学生になると自分の好きな情報ばかりに目を向けがちになってしまうので、今日の講話のような戦争について考える機会を8月を迎える前にいただけたことに感謝しています。20歳を迎えた『私』で戦争と平和について再び考えていきたいと思いました。」 「土崎空襲は、終戦日の前日に投下されたことで、あと1日でも早ければと思いました。当時の映像や実際の様子の話を聞いて、当時、国民はどういう状況で空襲を迎え、戦時下を子供や女性はどんな苦しい状況で生きていたかが伝わりました。日本はこんなにも苦しい状況にありながら、なぜ降伏を急がなかったのかと、このような被害が拡大する前に何か手を打たなかったのかと思います。戦争はいい事を生まず、被害だけが生まれるだけでいけないことだと強く思いました。また、命は助かっても、恐怖や記録は人々に残りつづけます。戦争は改めてあってはならないと思います。」 「私は土崎で生まれ育ち、土崎南小学校に通い、その中で土崎空襲について学んで育ってきました。小学校の頃には、セリオンで行われた平和祈念のスピーチにも参加しました、地元土崎について沢山学んできましたが、高校から今日まで土崎空襲について忘れつつありました。今日の講話を通して、土崎空襲の悲惨さ、残酷さを思い返すことができました。今日このような機会がなかったら、このまま思い返すことなく生きていたのかもしれません。今、私たちが普通に土崎で生活している過去には、このような悲惨な戦争があったことを心に刻み、後世にも伝えていくことが、土崎に住む私たちの責務であると感じます。このような戦争を繰り返さないためにも、世界平和に向かって生きることが大切だと感じました。本日はありがとうございました。」 「私の母は、戦時中満州(現中国)で生まれました。終戦後も、しばらく日本に帰国できず、満州での生活が続いたそうです。終戦したとはいえ、満州兵士に見つからないように隠れながら生活を送っていたようです。生前、祖母からこのような戦争中の話を幾度となく、聞いていた私は幼いながらに、戦争への恐怖と生きている事のありがたみを感じていたのを覚えています。現在の日本は、戦争もなく平和な状態が続いています。それがゆえに、『平和ボケ』しているのではないかと感じています。世界の各地で未だ戦争により多くの命が奪われています。しかし、私たちはどこかで安心している気持があります。やはり体験していないことには、危機感を持つことが難しくあります。伊藤さんを始め、戦争を経験した皆さんが、そのことを語り、戦争を知らない世代に伝えていくことが、どれだけ大切なのかということを改めて知り、何も生み出さない戦争が、この世界からなくなることを心から願っています。」 「『戦争は罪悪だ』と話し、涙を流した男性の姿が忘れられない。戦争はしても何もいい事はないと改めて思った。戦争をまた繰り返さないようにするには、戦争の恐ろしさを語りついでいくことが大切だと思った。一番恐ろしいのは、戦争の怖さを知らずに大人になってしまうことだ。子供の頃から戦争の恐ろしさを理解し、戦争についてよく考える時間を作ることが大切だと思った。それから、実際に爆撃の時に落ちた破片を手に持ってみて、あまりの鋭さと大きさに驚いた。この大きな破片がたくさん落ちて、多くの人が亡くなったと思うと、言葉が出なかった。」 「実際の映像を見たり、当時の話を聞いたりすると、空襲や戦争の恐ろしさを実感する。『昔のことだ』とどこか他人事に思って日常生活を送っているが、その頃を過ごし、経験した人が今まで生きていて、思い出すこともあると考えると、苦しくなる。土崎というとても近い場所でおこったことなのに、私は意外とそれについて何も知らなかった。どんな爆弾だったか、どこに落ちたか。具体的に知ることで、これからその場所を見た時はきっと話を思い出すだろうと思った。人が死に、街がこわれる戦争、何も生みださない戦争に何の意味があるのだろうか。平和を作るのは今を生きる私たちだけではなく、亡くなった人々の思いでもあると思う。」 「津紀子さんの話やDVDを見て、土崎空襲の恐ろしさを知ることができた。昔の映像や写真、絵、服や物を見ることで、100年も経っていない昔にこんなに悲惨なことがあったのかとすごく悲しい気持ちになりました。私と同じ年代の女学生が遺体を運んだりした話を知り、その子たちはどんなに怖かっただろうと思いました。まだ世界には戦争をしている国があり、日本もこれから戦争をする可能性があるということは、すごく嫌なことです。今までの悲劇を忘れないよう、後世に伝え続けるために、自分には何ができるかを考えたいと思います。戦争が無い平和な世の中になることを願います。」 「私は寺内に住んでいて土崎が近く、すごく土崎空襲にはゆかりがあります。小・中・高でもあのDVDを観ていますが、何回観ても、伊藤さんのお話を聞くのも2回目なのですが、何回観ても聞いても、やはり戦争はだめだし、二度としてはいけないと改めて実感します。私も何かできることはないのかと前から思い、伝承館に行ったり友達に話したりと、なるべくイベントごとには行っています。もっと勉強して貢献していきたいです。」 「戦争は辛いものだと分かっているからこそ、こういった話を聞くのは苦手なのですが、これからは私たちの時代なのだという言葉にハッとさせられました。土崎という身近な土地にこんな過去がある以上、目を背けてはいけないし、もう二度と戦争なんてものが起きないことを願い続けなければいけないな、と思いました。」土崎空襲を語り継ぐ 『土崎港(みなと)被爆市民会議』フォロー2023.07.31 13:23夏の「戦争と土崎空襲展」始まる2023.07.20 06:01「空襲・戦災を記録する会」全国大会を秋田で開催0コメント1000 / 1000投稿
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