子どもたちを二度と戦場に送らない!~体験者が語る

 昨年の12月8日、「戦争と土崎空襲展」特別企画の第二部では「戦争体験を語る会」として、3人の方に土崎空襲や戦中・戦後の体験を語っていただきました。

 ・風間孝蔵さんは、日本の中国への本格的な侵略の起点となる満州事変の翌年に生まれ、戦争とともにあった時代を振り返りました。
 日本は「神の国」で優秀だが、中国や朝鮮の人々は劣等だと差別を煽りながら、国民の気持ちを戦争に引き込み、「戦争反対」と発言・表現する自由を奪っていった。男は天皇・お国のために兵士となり戦場で戦い命を投げ出した。その死は美談として大々的に報道され、戦意の高揚に利用された。女子供は「銃後を守る」ために生活の困苦・窮乏に耐えなければならなかった。学校は教育の場ではなく、軍国主義一色に染まり、自分も「軍国少年」だった。食料や生活物資はすべて配給制で厳しく統制されたが、戦争が進むにつれて配給すら滞るようになった。隣組が組織され、相互扶助的な性格もあったが、スパイを摘発するためにお互いを監視する役目が大きかった。戦局が悪化し空襲が始まってからは、国土が戦場となり国民全体が犠牲者となった。まさに戦争は「最大の人権侵害」だ。


 ・当時高等女学生だった渡辺雪子さんは、土崎空襲当夜の体験を具に語りました。

 第一波の爆撃の音で飛び起きた。すでに空が真っ赤になっていた。B29が大編隊が飛来して爆撃を始めた時はおっかなくて音も出なかった。腹の底から響くような爆音はいまだに忘れられない。防空壕で布団をかぶっていたが、静かになり兵隊さんの指示で高清水に逃げた。高女に負傷者が運び込まれていると聞いて駆け付けた。奉安殿にお辞儀してから職員室に駆け込み、ろうそくをもって築山に急いだ。1人か2人しかいないお医者さんの手元を照らした。薬も包帯も手ぬぐいもない中で、マーキュロを塗るという手当しかできなかった。亡くなった6歳の男の子を担架に乗せて家まで運んだ。竹製で、つるつる滑る担架だったので死体をひもで縛った。その家も爆撃で柱も屋根もない状態だったが、置いてきた。戦争が終わって、本もノートもなかったが勉強が大好きだったので、「電気をつけていいんだ」「明るいところで勉強できるんだ」、と。これが最大の喜びだった。戦後も食料はなかったが、親は工夫してよく食べさせてくれた。


・高橋裕子さんは昭和19年ころからの暮らしを振り返りました。

 その年に祖父と姉が死去した。教員だった父は病弱だったが、その年に招集され、これで申し訳が立つと出征した。翌年に父が帰り、角館に転居し一間に親子4人で暮らした。食べ物が無く、鉄なべの中を探しても、イモのつるや菜っ葉があるだけで米粒はなかった。お金を得るために松根油の掘り出しなどもやった。学校では校地を畑にしてキュウリなどを茶色になるまで育て食べ物としていた。国民学校1年の時に土崎空襲があった。防空壕に隠れた。翌日玉音放送があったが、みんな泣いていた。戦争が終わって、教員だった父と母は「何を教えたらいいのか?」「教師を続けていいのか?」と悩んでいたが、子育てのために止められなかった。生活のために母と自分で雑誌や新聞紙で紙の風船などを作り、自分がお店に行きお金をもらってきた。「働かなければ生活できないこと」を実感した。自分も教員になり、校長を務めた土崎南小と飯島小で土崎空襲の慰霊碑の建立に立合い、不思議な縁を感じるし、土崎空襲のことは忘れられない。
 

それぞれ体験を語ったのち、戦争と平和のことについて今考えていることをお話しされました。
 風間さん~「まさかこれから戦争になるとは思わないかもしれない。しかし、戦争で儲ける人がなくならない限り戦争はなくならない。人の命を大切にする、民主主義を守る、そのために頑張っていきたい」

 渡辺さん~「これからの若い人たちにはもう二度と同じ目に合わせたくない。戦争はイヤだ。本当に戦争はしてもらいたくない」

 高橋さん~「戦争が起きれば人々がどんどん死んでいく。人間ばかりでなく、動物も自然も滅ぶ。地球全体の問題だ。危機が迫ってきていてのんびりしていられない。心して世界の動きに目を向け、戦争だけは起こしてはいけない。子どもたちを何が何でも戦場に送りたくない」

 戦争や土崎空襲のことを体験し、また語れる方々はどんどん少なくなっていきます。しかし、まだこのように語ってくださる方々はいます。市民会議では、その貴重な証言や思いをお聞きする機会を今後も追求していきます。

アンケートから
 「戦争の悲惨な状態を身近に聞けて良かった。もっとこのような機会をメディアを使って広めてもらいたい。」
 「渡辺さんの空襲実録とでもいうべきお話が臨場感あふれていました。戦争で犠牲になるのは子ども、国民である。偉い人は犠牲にならない。戦争だけは絶対ダメ、という強い言葉に感銘を受けた。」
 「あいにくの天気でしたが、12月8日におこなったことに感謝します。長く続けてくださっていること、素晴らしいです。風間さんの声の張りに脱帽。渡辺さん、高橋さん、お声がしっかりして聴きやすく心にしみました。」
 「やはり生の声を聞くことが、迫力があり、平和を望む私たちの力になると思います。ありがとうございました。」
 「戦争というと、どこか遠いところで起こった他人事のように感じることが多かった。自分の近くで起こり得ることだと感じた。語り続けてほしいと思います。」


土崎空襲を語り継ぐ 『土崎港(みなと)被爆市民会議』

0コメント

  • 1000 / 1000