8月14日、戦後80年、土崎港被爆市民会議結成50年を期した「土崎空襲犠牲者追悼平和祈念式典」と「21世紀子どもたちから平和のメッセージ発表会」を、土崎港セリオンプラザで行いました。会場には遺族・旧日本石油関係者、県議会議長、秋田市長を始めとするご来賓、市民の約150人、および多くの報道関係者が集まり、土崎空襲で尊い命を奪われた犠牲者を悼みつつ、再びの戦争を許さず平和への道を歩むことを誓い合いました。
今年のメッセージ発表会には、小・中・高・短大の12校から250通を超える作文の応募があり、そのうち16人が入選、15人が発表しました。土崎空襲講話会や学校での読み聞かせ、自主的な伝承館見学などの学びを通して、戦争は二度とあってはならない、空襲や戦争の悲劇を繰り返さないために、平和な社会を作るために自分たちには何ができるかを発信してくれました。
5歳の時から祈念式典での黙祷の際に平和の鐘を鳴らしてきている高清水小6年の旭さんは、鐘を制作した祖父の想いを受け継ぎながら、「平和の鐘を鳴らし、平和を祈るだけでは平和は実現しない。今を生きる僕たちが作るものだ。学ぶとは忘れないこと。過去の記憶と向き合い、平和の意味を考えていく。歴史を学び何が正しいかを判断できるようになっていくことが大切だ」と述べました。土崎中1年の加賀屋さんは「今日本で戦争がないのは、戦争の恐ろしく悲しい事実を伝えてきてくれる人たちがいたから。今度は、戦争はあってはならない、と自分たちから声をあげてみませんか」と呼びかけました。また、聖霊短大2年の鈴木さんは「忘れたとき同じ過ちを繰り返す。戦争の記憶を風化させてはならず、過去の記憶を語り継ぎ、受け継ぐことから希望を見出していきたい」「国や性別、年齢に関係なく、命はかけがえのないもので、人には平和に生きる権利、幸せに生きる権利がある。どんな理由であっても失われてはいけない。私は戦争や紛争で困難に苦しみ希望を失っている子どもたちや女性たちを支える力となりたい」と述べました。
さて、今回の式典・発表会では、聖霊短大菅野ゼミの学生2名が司会進行を担いました。初めての大役でしたが、落ち着きのある堂々とした進行で、会場には清新な風が流れました。市民会議にとって最も大切な行事として継続している式典と発表会の重要なパートを学生たちが自主的に担い、市民会議の活動を世代間で継承する大きな一歩が刻み込まれました。子どもたちの真摯で力強いメッセージの発信と合わせ、若い世代との共同を広げていくことにこそ平和への希望がある、と確信することができました。
なお、式典会場には市民会議が秋田魁新報社と協力して進めてきた空襲犠牲者についての再調査活動で新たに判明した方を含めた125名の名簿とパネルを公開・展示しました。なお、パネルをご覧になったご遺族の方からの情報でさらに新たに2名の犠牲者の氏名が確認され、8月31日現在で127名となりました。今後も再調査は行政と協力しながら継続していきます。
(このブログ記事は、秋田市平和委員会「平和新聞」25年9月5日号への投稿を一部修正・加筆したものです)
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