去る9月12日の午後には、北秋田市高鷹大学の皆さんが土崎みなと歴史伝承館を訪れ、動画「語り継ぐ土崎空襲」を視聴し、伊藤津紀子さんの空襲体験の証言に耳を傾けました。
戦中や戦後まもなくお生まれになった方々がいて、「当夜、西の空が真っ赤に燃えていたと、親が話していた」「戦後生まれだが、今日の話をずっしりと重く受け止めた」との発言がなされました。また、感想文に、父親がニューギニアで戦死したことを書かれた人もいました。「戦争は絶対反対だ」「今も世界で戦争が起きていて平和とは言えない」「日本でも二度と戦争が起きないように、土崎空襲や戦争のことを語り継いでいくこのような活動はとても大切だ」などの想いを共有する講話会となりました。
以下、感想文のいくつかを紹介します。
「罪のない一般国民が多数犠牲になった戦争は二度と行うべきでない。」
「生々しいお話を聞かせていただき有難うございました。日本もよその国に戦いをしかけたことを忘れてはいけません。」
「父は19年8月10日ニューギニアで戦死、母の苦労は並大抵ではなかったと思う。それはニューギニアの最後の日だと聞いた。小学生時代は父親のいない友が多かったし、ご飯を食べられないということも、記憶にはない。けど、母、祖母の苦労は感じられる。戦争はダメ。」
「戦中に生まれて2才で終戦になりましたが、父がアメリカ軍が廻って来るということで、写真全部焼いた記憶があります。小さいときの写真はほとんど焼かれましたが、私は父が戦地に行っているときに生まれました。」
「実際の爆弾の破片を見て初めてなので驚きました。恐ろしい気持ちです。体験談、辛い体験で話をするのも大変と思います。ありがとうございました。軍事施設がねらわれるのはどこも同じですね。沖縄や米軍基地など難しい問題です。民間人の犠牲は大変なことです。」
「土崎空襲の時、私は1歳半。知っているはずはないが、あたかも見ていたように今でも思い浮かびます。それはことあるごとに家族が語ってくれたからだと思います。毎年、夏にはこの話を聞きました。」
「戦後生まれなので話を聞き想像もつかない経験をされたのだなと思いました。戦争は絶対にあってはならないことで、平和な世界を望みます。」
「石油の製油所があったから空襲があったのですね。最近知りました。秋田県に住まいしていてなかなか知る事機会がなかったが、最近時間の余裕ができて、あたりを考えることができるようになりました。土崎のみなさんの後世に語り継ぎたいとの思いが良く伝わりました。広島、長崎のことは良く知っていても、秋田にもあったんだと知り得たことは、これから生きるうえで考え、若い世代にも伝えていかなければと思いました。活動を応援していますので頑張ってください。」
「土崎空襲の記憶の証言を実際の映像で拝見できましてありがとうございました。人間の命と身体をいともこんなに簡単に失う戦争で使う爆弾、武器、本当に恐ろしい話です。語り部が必要な意味が分かりました。」
「実際に体験した人々の言葉、本当に身にしみます。広島、長崎はよくテレビで目にしますが、この近くの我が秋田県でも同じようなことが起きていました。戦後生まれの私はあまり知らされずに生活していました。本当にまだまだ話し続けていかなければいけないと思います。」
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